私がイジメにあった原因は父がいなかったこと

子どもの体験談
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中学1年生の春休み、母が私を引き取りにきました。

2歳から今まで約12年間祖父母の家で育てられてきて、小学3年生の頃父が亡くなりお通夜で会ったっきりでとても不思議でした。

新しく父親になる人?と妹になる子?と弟を連れて浜松からやって来て、祖父母と話し合いをした結果私は母の元に行くことになりました。

その日に準備をして浜松に引っ越しました。浜松の中学校はとても楽しく、友達もたくさんできました。

引っ越して2ヶ月後、それまで半年程一緒に住んでいた母と新しい父親が喧嘩を始め、警察沙汰になってしまい私達は母の知人がいる熱海に引っ越すことになりました。

せっかく仲良くなった友達とも2ヶ月でお別れになってしまい母を恨みたくなりました。

ですが、熱海の中学に転校してすぐ先輩達と仲良くなりました。

とても優しくて頼れる先輩達でした。クラスではある1人の男の子からアドレスの書いてある紙を貰いました。

その子達の顔を見ると近くの女の子が連絡してあげてと言ってきたので帰ってからすることにしました。

〇〇です。よろしくね。と連絡するとよろしく。と来て、更に他の男の子2人からも連絡が来ました。次の日学校に行くとごめん。教えちゃった。と3人で謝りに来ました。

私は許しましたが、それがきっかけで私の学校生活が逆転するとは思っていませんでした。

それから数ヶ月後、私はなんとなく省かれている気がしたんです。

一人ぼっちの様な感じがしました。でも話かけてくれるし、大丈夫かななんて思ったりもしました。

先輩達とは仲良くやれてるし安心かななんて思っていたらあっという間に先輩達は卒業を迎え、私は3年生になりました。

その頃、浜松で父親になるはずだった人との間の子供が生まれ、学校を数週間休みました。

2年の頃からのやる気のない頼りない先生だったけど安心しきっていました。

新しいクラスメイトの中で直ぐに私は省かれたんです。

何がきっかけで何でなのかわからなかったけど、必死で話かけたりして仲良くしたかったんです。

けど、そんなのは叶わなくて置いていかれたり、勝手に係を決められたりするただの省くだけなのに私にはとてつもなく悲しかったです。

それからというもの学校には行きたくなくて、休む毎日で先生から来いと連絡が来るたび嫌だなと思いながらお昼頃に登校していました。

給食はみんなと食堂で食べなければ行けない事がとても辛かったのに先生にはわかってもらえなかったです。

週3日程のお昼登校で校長、教頭にも話をしてokを頂き食堂で1人で勉強、給食はみんなと一緒にと条件を出されました。

保健室登校をしたかった私に保健室は禁止と行かせてくれなかった担任はイジメがあると伝えても信じてくれなくて誰も信用できなくなりました。

母も皆んな話かけてくれるじゃんと信じてはくれなくて、学校に行けというだけでした。

担任は体育の先生だったので体育の授業は来いとしつこく言われ、仕方なく体育館の2階から見ているも、無理やり連れて行かれました。

誰もペアを組んでくれず担任とペアを組んだりと恥ずかしい思いをしました。

高校受験が近くなった頃、お前には行く高校がないときっぱり言われました。

それでも私はどうしても高校に行きたかった、勉強を学びたくて主任の先生に探してもらうことにしました。

主任の先生はイジメを受け入れてくれ、高校も探してくださり、私は無事高校に受かりました。

その後、卒業式まで学校はお休みしました。

卒業式は何事もなく終わりました。校長、教頭、主任の先生、社会の先生、1年の英語の先生だけは最後まで陰で私の味方をしてくれていたということを後で知りました。

イジメにあった原因は父親がいないのに小さい子供(妹)がいる事、貧乏なアパートに住んでいたことだった事です。

私は何も悪くなかったのにイジメにあっていたらしいです。イジメは本人は悪くないという事を知りました。

でも、人と接するのが怖くなった、後遺症が残ったのには変わりはありません。

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